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「やっぱり自分はフォトグラファーでありたい」 写真家・小松由佳さん

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 9月25日に新刊「人間の土地へ」(集英社インターナショナル、2,000円、税別)を発売した市内在住の写真家・小松由佳さん。2006(平成18)年に日本人女性として初めて世界第2位の高峰「K2」の登頂に成功、その後は写真家としてシリアの内戦や難民をテーマに活動を続けている。今回はK2登頂からシリア内戦、そして、現在までを自身や夫であるラドワンさんの体験を中心に一冊にまとめ上げた。完成までのエピソードや、本書に込めた思いについて小松さんに聞いた。

■「長い時間をかけて、読まれるような一冊になってほしい」

-この本を書こうと思ったきっかけは?

小松 「冒険家や探検家、旅人など、ユニークな活動をしている人が月に1回報告をする『地平線会議』という集まりがありまして、ヒマラヤに登って、その後、フォトグラファーに転身し、シリアに行って内戦を目撃し、夫と結婚をするという一連の流れを2016年11月に報告をさせていただいたら、代表世話人の江本嘉伸さんが『本にしたらいいんじゃないか』と話をしてくださったんですね。そこから少しずつ書き始めました」

-なぜこのタイミングで?

小松 「主人とシリアで出会って、内戦が始まっていろいろなことがあったんですけども、なかなかすぐには語れないことが多かったんですよ。それが時間をかけて、ようやく『今だったら話せるかな』というタイミングになって、その時に、本にしてみないかというお声掛けをいただいた。書き始めたのは3年半前。そこから時間がかかりました。時間を越えてたくさんの人に長く読んでいただけるような、そんな一冊になればと思って書きました」

-ようやく語れるようになったということですか。

小松 「そうですね。それまで語れなかったのは夫のことです。2016年頃までは、まだ夫の家族がシリアに残っていて、夫の身の上などが知られれば、シリア国内の家族に危険が及ぶ可能性がありました。今回はまずくて書けないという話はないです。書けないということは、それ自体がものすごく意味あることなんですよ。なぜ書けないのか。その背景にこそ真実がある。それについて、かなり時間をかけてこの本に書きました。報道の場で多く語られている政治情勢や、戦闘の最前線のようなところからは離れて、人の暮らしや、その根底にあるものを丁寧に描くことをしました」

-執筆の際、こだわった点は?

小松 「シリアの内戦、難民というと日本人から遠いイメージを持たれやすいんですが、内戦に巻き込まれていく人間のさまざまなエピソードを織り込むことで、もっと身近に感じてもらえたらと思います」

-ここ10数年の間の話ですものね。

小松 「それだけ激動の変化があったということですよね。今書かないと埋もれていきそうなことを集めて書きました」

■「語り継ぐことでルーツを留める」

 2006(平成18)年に「K2」を日本人女性として初めて登頂した小松さん。物語はそのK2登頂目前のエピソードから始まる。

小松 「私にとってのルーツの一つが、K2だからですね。この本は、私の半生の記録でもあるし、私と夫の物語でもあるし、シリアという土地を巡る物語であって、それぞれ土地に生きるということがどういうことかがテーマなんですよ。私にとってはK2がひとつのルーツで、そこから始まる物語がありました。ですので、K2を最初に持ってきました。K2なくしてはシリアという土地との出会いもありませんでした」

-第2章以降、物語の舞台は内戦が始まる前のシリアへと移っていきます。

小松 「内戦前のいきいきとしたシリアの人の営みを描写することにはこだわりました。内戦前は牧歌的な暮らしがあった。表に見えてくる明るい面もしっかり書いたんですが、内戦後、ダマスカスで暮らす中で、政治的なほころびや、人心の黒い部分が見えてくる点もちゃんと書きました。良い面だけでなく、光と影、両面を意識しました。一緒に暮らす中で、一般市民にじわじわと迫っていく内戦の影のようなものも感じ取れて、そうしたものもここに書きました」

-物語は小松さんだけでなく、シリアで生きていた青年・ラドワンも軸となっていきます。

小松 「ポイントはこの本を通じて出てくる主人公が私の夫でもあることです。夫は内戦前にシリアで生まれて、伝統的で平和な暮らしをしていた。それが内戦で国を追われ、その後、八王子市に住むという一連の流れがある。自分たちの暮らしや世界が、どうシリアにつながっているのか、この本を通してイメージしやすいと思います」

-日本に来てからのエピソードについても包み隠さず書かれています。

小松 「主人が日本に来て、すごく大変だったんです。2年くらいノイローゼだったし、私もどうすれば良いのか分からなかったんですよ。今の日本の法律だと、難民と認定されれば支援が受けられ、認定されなければ完全にノータッチです。しかし今思えば、日本社会に馴染みやすくなるために文化面でのサポートがあれば大変ありがたかった。そうしたところの一助になればいいとは思います。難民の困難さがどういうところにあるのかをイメージしていただけたらうれしいです」

 作中で小松さんの夫・ラドワンさんはシリア内戦勃発後、徴兵されながらも銃は向けられないと軍を脱走。命からがらたどり着いた難民キャンプでは生きる意味を見出すことができず、再びシリアに舞い戻る姿が描かれる。その後、再びシリアを出て、小松さんと結婚後、今は八王子で事業を営む。

小松 「夫はもう故郷には戻らないと言っていますね。なぜなら、もうそこに、かつての家族や仲間がいないから。戻ってもかつてのようなコミュニティーはないし、そもそも街も破壊されて住めるような状態じゃない。私たち日本人は農耕民族だから、故郷というと土地を指すイメージが強いと思うんですけど、彼らはルーツが遊牧民族なので、土地よりも人のつながりに故郷を見出す意識が強いと感じます。コミュニティーが故郷で、それがシリアからトルコに移ったということなんですよね。彼らの国境も世界大戦後に英仏が勝手に引いたものなので、国や土地へのアイデンティティーもあることはありますが、宗教や民族へのアイデンティティーのほうが強い。そして移動や離散を繰り返してきた歴史を持っています。だから、故郷を離れて違う土地に移りながら、自分たちのルーツを語り継ぐことで留めていくんですね」

-お子さんはお父さんをどのように思っているんですか?

小松 「ちょっと前まではトルコ人だと思っていたんですよ。トルコに夫の家族が逃げていて、取材に連れていくのはトルコが多いから。『トルコに住んでいるからトルコ人なんでしょ?』と。『違うよ、シリアという国から来たんだよ』と言ってもあんまり理解できない。最近だんだんシリアから来たんだということが分かってきましたね。そうやって理解が進んでいくのは面白いです。なぜ逃げてきたかはわかっていないし、子どもたちに長い言葉で伝えるのは難しい。だから、この本は子どもたちに語り残す物語として書いたというところはありますね」

■「写真を撮りたいという思いが強くなった」

-今回の本で一番読んでほしいところは?

小松 「思い入れが強いので……。どこからでも読めるんですけど、全部が密接につながっているので、やっぱり最初から読んでほしいですね。穏やかで平和だった暮らしがあって、それが突如壊されていくという、その流れが本の中にあるので、追体験していただきたいですね。思えば危ないことばかりの本です(笑)」

-特に「土地」というものがテーマになっていますよね。

小松 「内戦が起きて、故郷を失って、故郷から離れていった人たちの物語なんですけど、それを通して、人間が土地に生きるということがどういうことなのか、それを改めて考えさせられる、そういう作品だと思います。人間ってどこにいても土地に生きている存在だと思うんですよ。土地によってルーツが形付けられるけど、人間は自分が生きる土地を作るという側面もあると思っていて、この本を通して自分がどういう土地に生きているのか、自分が生きている場所について考えることもできるんじゃないかと思います」

-どんな人に読んでもらいたいですか?

小松 「激動の時代を生きる人間について描いた本なので、様々な観点から考えさせられる一冊だと思います。シリアについて興味がなくとも、何かに悩んでいたり、方向性が見出せなかったり、そんな方にも是非読んでいただけたらと思います」

-特に八王子の人に読んでもらいたい点は?

小松 「八王子ってアラブ人がすごく多いんですよ。イスラムコミュニティーもある。でも、あんまり日本人は知らないじゃないですか。同じ街にこういう暮らしや生き方があるんだということをイメージいただけたらうれしいですね。土地のコミュニティーの中にしっかり入れたら生きていけるんですよね。そこに入るまでが大変なんですけど」

-今後の予定は?

小松 「まだ子どもが小さく、経済も私が支えないといけないので、しっかり生活することですね(笑)。あとはライフワークとして、シリアの難民を取材して、記録していくことをしたいですね。最近はショートドキュメンタリーを撮りたい。写真だからこそ伝えられること、一方で動画だからこそ伝えられることを意識しています。写真はデジタルでも撮りますが、やはり作品としてはフィルムで撮りたいですね。経費がかかって大変ですが。取材前はカンパを募っています(笑)」

-やりたいことは?

小松 「まだ構想段階なのですけど、子ども向けに『僕のお父さんはシリア人』のような絵本を作りたいです。主人は自転車を中東に送っているのですけど、写真で主人がどんな仕事をしているのかを撮って、送った自転車が現地でどう使われているのか流れを撮りたいんですよ。彼もシリアに帰ることよりも、シリアから逃れた人たちを助けることに生きがいが変わっていっているんです」

-この本を書いたことで、フォトグラファーとしての心境の変化はありましたか?

小松 「そうですね。この本を通して、文章で伝えるという方法を長く試みました。それによって逆に、自分が目指す写真の表現法が明確になったように感じます。文章で伝えられる世界観と、写真で伝えられる世界観。その両面の可能性を、今後模索したいと思います。しかし、やはり自分は流れていく時間の一瞬を切り取り、そこに物語を込めていくフォトグラファーでありたいなと思いましたね」

-ありがとうございました。

 

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